砂漠の陰から

砂漠の陰から

広大な砂漠のような社会の陰でちまちまと生きていくブログ

雑記:愛犬が教えてくれたこと

母から、愛犬が死んだという報告を聞いたとき、本当に胸が苦しくなりました。
忘れもしません。2年前の夏、愛犬が亡くなりました。17歳でした。人間に換算すると、84歳くらいとのことで、大往生と言ってもよいのではないでしょうか。

我が家は6人兄弟です。騒がしい実家でした。でも、愛犬にとっては、きっと楽しく過ごせる家であったと思っています。常に誰かいるからね。

兄弟が一人、また一人と家を出て自立していって、とうとう最後の末っ子も家を出て、寮暮らしになった年のことでした。家族がだんだんと家を離れていくことは、愛犬にとっては寂しいことだったのでしょう。たまに帰省したときは、玄関でシッポを振ってお出迎えしてくれたものです。


兄弟喧嘩によく巻き込んでしまいました。ケンカで投げたものが愛犬に当たってしまって、痛い思いをさせてしまったこともありました。兄が愛犬に八つ当たりすることがありました。でも、最期を看取りに来れたのは、その兄だけでした。

10歳になっても全く老ける様子を見せず、元気に走り回っていた愛犬。亡くなる数年前にてんかんを発症し、そこから急速に老けてしまいました。

トイレもうまくできずに、オムツを着けた姿を見るのは、正直心苦しかった。老化で内股になった姿を見るのがつらかった。昔は軽々と飛び越えていた段差を、越えられずに右往左往する様子を見るのが目に堪えなかった。
亡くなる数日前に、父が抱っこして撮った写真が、とても弱々しくて、目を背けたくなった。


末っ子の弟にとっては、産まれた時から家にいる人生の先輩だったでしょう。死の知らせを聞いたとき、弟は号泣していたそうです。


「子どもが生まれたら犬を飼いなさい」という、有名なことわざがありますよね。

子どもが生まれたら犬を飼いなさい


子どもが赤ん坊のとき、子どものよき守り手となるでしょう


子どもが幼少期のとき、子どものよき遊び相手となるでしょう


子どもが少年期のとき、子どものよき理解者となるでしょう


そして子どもが青年になったとき、自らの死をもって子どもに命の尊さを教えるでしょう


まさしく、このことわざを体現していたと思います。愛犬は死をもってして、命の大切さを教えてくれました。


「死ね」という言葉を軽々しく使えるのはなぜでしょうか。それは、生命の重さを知らないからでしょう。命の尊さを痛感した経験がないから、わからないのでしょう。

命の重さを感じることができる機会は、非常に限られています。誰かの「死」を通してしか、実感することができません。


愛犬はその機会をぼくたちにくれました。ぼくたちへの、最後のプレゼントだと思っています。

ほんとうにありがとう。



2年経って、ようやく気持ちが落ち着いたよ。

たくさん迷惑をかけてごめんね。安らかに眠ってください。
天国でいっぱい走り回って、大好きなお菓子をたくさん食べてね。
ぼくもそっちへ行ったときは、昔みたいに頭をたくさん撫でさせてね。


大切な家族 モモ へ