砂漠の陰から

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広大な砂漠のような社会の陰でちまちまと生きていくブログ

雑記:暑すぎる夏が、今年も終わる

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今週のお題「暑すぎる」


暑すぎた今年の夏。
しかしそんな灼熱の暑さも、今週に入って少し、ほんの少しだけ、和らいだ気がする。実際、体温を超える暑さだと騒がれていた最高気温も、今週は35度に届かないくらいだ。毎年のように「異常気象だ」と騒がれている気がするが。盆も過ぎ、9月の足音が聞こえてくる今の時期は、うだるような暑さに少し名残惜しさすら感じるものだ。


Googleフォトで「8月」と検索してみた。
当然だが、8月に撮影した今までの写真がズラリと表示される。一番古いものは2013年の写真。新しいものは1週間前の写真。ちょうど僕が高校生だったころに、ケータイをスマホに変えたあとの写真だ。むかし、ガラケーを使っていたころ。当時は機種を変えることにデータがうまく引き継げず、せっかく撮った写真もなくなってしまったものだ。現に、古い友人の電話番号もメールアドレスも、いつの間にか消えてしまっている。
ITが進化してクラウドが登場した。今では、写真も連絡先も端末ではなくインターネット上に保存される。スマホを変えても、これらが消えることはなくなった。


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写真は、「記録」で「思い出」で「記憶」だ。写真を見るたびにその頃を思い出す。
上の写真のヒマワリは、ちょうど2年前のいまと同じ時期、ヒマワリ畑にいったときに撮影したものだ。あのときはカラッとした天気で、それでいて人がごった返していたことを思い出す。たとえ不格好な写真だったとしても、それが思い出となるのだ。


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夏になると、すこし寂しいような悲しいような何ともいえない気持ちになる。なぜ夏になるとノスタルジックな気分になるのか。
やっぱり、子どもにとって夏は特別だからだと思う。夏休みがある。学校へ通って帰ってくるという、普段の生活リズムとは違った日々の思い出が残っているからだ。そうして残っている子供時代の記憶が、大人になった今になってノスタルジーな感情を呼ぶのだ。


僕が子どものころといえば、小中やっていた野球を思い出す。陽炎が立ち上るグラウンドでノックを受け、休憩時間に飲んだアクエリアスの味が未だに舌にこびりついている。
土日は野球漬けだったから、家族で旅行をしたことなんて数えるくらいしかない。それでも、楽しかった。当時は野球なんてやめたいと考えたりもしたけど、振り返ればやっていてよかったと思う。今となっては9人集めて野球をやることすらおぼつかない。草野球チームに入るという手はある。だけど重い腰が上がらない。


高校は友達とフラフラしていた。まあ高校時代はもう少し何か建設的なことをやっておけばよかったとも思うが、気楽な学生時代だった。なんだかんだで、今も連絡を取る頻度は高校のころの友人が一番多い。中身のない高校時代だったが、一番戻りたい時代でもある。
大学時代は仲間とともに資格試験の勉強に明け暮れていた。今も勉強はしているが、孤独だ。受験友達というものはいない。作る気もない。
今年も税理士試験を受けた。駐車場から試験会場へ向かう歩道の暑さと、セミの声が忘れられそうにない。


もうすぐ夏が終わる。
日が暮れた後に、「若者のすべて」でも聴きながら散歩でもしてみようかな。
あとは、写真を撮りたい。なんでもいいから、今年の夏を思い出せるような写真を。また数年後にその写真を見て、「あの頃はよかった」なんて笑いながら、酒でも飲みたい。下戸だけど。
夕暮れ後に涼しくなる今の時期くらいが、いろいろな意味でちょうどいい。