砂漠の陰から

砂漠の陰から

広大な砂漠のような社会の陰でちまちまと生きていくブログ

雑記:ぼくが歩んできたインターネットの思い出を振り返る

先日帰省したとき、母がドヤ顔で自慢してくるんですよ。「さいきんメルカリを使って色んなものを売っている」と。
ネットショッピングすら億劫だった母が、自分で出品までやってしまう・・・何とも恐ろしい時代がきたものです。


2021年。誰もがインターネット上でコミュニケーションを取りあい、SNSを活用して交流する時代です。
もはや「現実(=リアル)」と「インターネット」の区別など存在しておりません。現実生活が充実していることを示す「リア充」なんていうスラングが寂れたのも納得がいきます。リアルとインターネットが結びついているのが当たり前の時代ですから。
昔のインターネットといえば、限られた人しか集まることのない、閉じられた世界とも言えました。まさに「アンダーグラウンド」な領域というワケです。


さて、皆さんはいつからインターネットを使い始めましたか?自分から興味をもって?パソコンの授業で?友達に誘われて?
それぞれ、さまざまな歴史があると思います。
ぼくはどんな歴史を歩んできたのか。ブログに残しておこうと思い、今回の記事を書くに至ったワケです。

はじめての交流「ポケモン裏技講座」

ぼくがパソコンを使い始めたのは小学校2年生くらいのときだったと思います。
リビングに置いてあったので、ずっとパソコンを触っていると母に「やりすぎ!」と怒られたものです。いまはスマホを使えば、片手で寝っ転がりながらネットにつながる時代。幸せなもんですね。

当時ポケモンが好きでルビサファキッズだったぼくは、もっぱらポケモンのことばかり調べていました。おもしろフラッシュ倉庫も見たりしていましたが、やはりポケモンが好きで、ネットサーフィンはポケモン中心だったと思います。
さて、ポケモンの情報を調べているうちに一つのファンサイトに繋がります。
ポケモン裏技講座という知る人ぞ知るサイト、通称「裏講」です。

裏講は、その名の通りポケモンの裏技を中心に扱うファンサイトです。
「うらわざ掲示板」から始まり「ゲーム掲示板」「小説掲示板」「言葉遊び掲示板」など、ジャンルごとに掲示板が分かれていました。

ぼくは最初「うらわざ掲示板」をずっとROM*1していました。色んな人がカキコ*2しているのを見ていて、興味はあったのですが実際に混ざる勇気が出なかったんですよ。
でもどうしても仲間に入りたくて、ある日勇気を出してカキコしたんです。すぐ返事がきて、それが嬉しくてたまらなくて。ぼくはインターネットで交流する楽しさを裏講で知りました。

うらわざ掲示板では、自分の知っている裏技をさながら飲食店のメニューのように示しあい、知らない裏技を教えあったり、すごろく形式で指定された人が裏技を発表したりと、いま思えば何が楽しいかわからんコミュニケーションををとっていました。でも、それが楽しかった。夢中でしたよホントに。
裏講はその後、荒らしが大量に入ってきて荒れ放題になり、管理人さんが入院していたのもあって閉鎖となってしまいました。


ポケモン裏技講座


裏講のトップページのアーカイブが残っていたので、当時の雰囲気を知りたい人は見てみてください。
確か宇宙みたいな壁紙だったなあ。ホント懐かしい。裏講出身の人いたら教えてください。

ホームページを作る「ハムスター島」

裏講で色んな人と交流しているうちに、個人的に仲良くしてくれた人もいました。あくる日、その仲良くしていた人が「ホームページを作ったから来て!」と言うんです。
ホームページを作るなんてスゴい!こんなの作れるものなのか?と思ってどうやって作ったのかと聞くと、「ハムスター島」なるサービスで作成したとのことでした。

ハムスター島サービス。いまは閉鎖している

会員登録すれば、だれでもホームページが作成できるサービスです。
ホームページといっても、できることは決められたレイアウトにコンテンツを当てはめていくだけ。阿部寛のHP並みに容量が軽いホームページしか作れない自由度の低さでしたが、それでも当時は斬新で、興味を惹かれました。

もちろん自分でもホームページを作って、仲良くしてくれた人と相互リンク。
掲示板とキリ番*3を告知するだけの誰得*4なホームページでしたが、それでもぼくは満足でした。
裏講が閉鎖したあとも、お互いのホームページで交流をしていましたが、やはり過疎過疎なので時間が経つにつれ疎遠となってしまいました。

余談ですが、このときHTMLタグを多少勉強していました。中学生になったとき、同級生の溜まり場を作るために、Yahooジオシティーズを使って再びホームページを作っていました。

不思議な魅力があった「すらすら」

裏講が閉鎖したあとは、前述したように自分でホームページを作成して交流していましたが、それも時間が経つにつれ下火に。
当時「ポケモン不思議のダンジョン 赤の救助隊」をプレイしていたぼくは、その攻略情報を調べているうちに「すらすら」というファンサイトにたどり着きます。

すらすらトップページ。現存しています

裏講ほどではありませんが、すらすらも掲示板での交流が活発でした。
やがてWi-Fi機能が実装されているダイヤモンド・パールが発売され、離れていても対戦や交換などの通信ができるように。
すらすら内で大会も盛んに行われ、まさにポケモンを通じた交流の全盛期だったように思います。
このころ、3値*5などを勉強し、ポケモン廃人へと向かう第一歩を歩み始めます。ガブかわいいよガブ。

通信のほかにも、小説を描いたり、チャットでリアルタイムのコミュニケーションを楽しんだり。裏講時代と比べるとより幅の広い交流を楽しんでいたと思います。
しかし、そんなすらすらですが、管理人様の多忙によって2008年ごろに更新停止することになってしまいました。
今でもすらすら自体は残っています。掲示板の過去ログに当時の書き込みが残っていて、いま見るとこそばゆい感じがしますね。

独特の文化を育んだ「ニコニコ動画

ぼくがニコニコ動画に登録したのは「(秋)」時代なので、2008年の秋ごろということになります。
どういうキッカケで登録したかは覚えていませんが、カービィグルメレースの合唱動画を見て、「コレ素人が歌ってるの?」とビックリした覚えがありますね。



さらに色んな動画を見て回り「ニコニコ動画流星群」や「組曲『ニコニコ動画』」を通じて、ボーカロイド・歌ってみた動画に激ハマリしました。いわゆるボカロ厨というやつです。
当時のニコニコは勢いがあり、明らかにニコニコ>Youtubeという図式でしたね。今は見る影もないが
チョコレート・トレインはもう何回も紹介しているし、あとはまあ・・・ダブルラリアットとか炉心融解とか、当時流行ったボカロ曲はたいがい知っていると思います。

さらに、見ているだけでは飽き足らず「自分でも何か動画を作りたい!」と考え始めます。
そこで自分でもよく見ていた「合唱動画」を作ることに決めました。合唱動画とは、歌ってみた動画の歌声を合わせ、合唱のように編集した動画です。
しかし動画を作る方法なんてもちろん知るハズもないぼくは、インターネットで一から調べながら動画の作り方を勉強し、動画を何個か投稿するようになりました。

中学生が付け焼刃の知識で作った動画なので、クオリティも低く、伸びるハズもないんですが、それでもいい経験になったと思います。
この経験があったからこそ、結婚式で流すムービーを自作して式費用を浮かすことができたんですよ。なにが役に立つか人生わからないものです。

せっかくなので、ぼくが投稿した動画のマイリストも載せておきます。


www.nicovideo.jp


まさか10年越しで宣伝するとは思わなかった。

まさにアンダーグラウンドな世界「2ch

2chについては、裏講時代のときからなんとなく存在は知っていたんですよ。「なにやら裏講より人が集まっている掲示板」があると。
ただ、やっぱりよくわからないし、怖かったのでアクセスすることはありませんでした。
2ch」で調べて、トップページまでは行っても、よくわからん壺の画像でまったく意味が分からなかったんですよね。

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0811/26/news122.htmlより引用。当時の2chトップページ。壺


しかし、ぼくはスマブラⅩをキッカケになって、2chにアクセスするようになりました。
スマブラポケモンと並んで昔から大好きなゲームで、小学生低学年のころから友達の家でよくプレイしていました(自分では持っていなかった)
中学生になって初めてスマブラXを自分で買ったんです。そして、忘れもしません、前述したニコニコ動画で、「Selcia(アイク)VSうに(カービィ)」の動画を見たことをキッカケにしてスマブラの練習を始めたんです。(あえて敬称略で書きます)

この動画を見て、自分の知っているスマブラと全然違っていて驚きました。そして、自分もこんな動きができるようになりたいと練習するようになりました。
初めはCPUを相手に、ひたすらうにさんの立ち回りを真似て対戦を続けて。
でもやはりCPU相手では満足ができなくなったので、対戦相手を探すうちに2chWi-Fi板にたどり着いたんです。
「なんとなく怖い」という理由で敬遠していた2chでしたが、とにかく対戦相手がほしかった当時のぼくは「弱い人用 スマブラXアイテム無しタイマンスレ」に通ってとにかくたくさんの人と対戦をしました。

タイマンスレのほうは、名前欄にユーザーネームと友達コードを載せるというルールがあったので匿名というワケではなかったのですが、他のスレはもちろん全て匿名です。
今まで通っていた裏講もすらすらも全てハンドルネーム付きでの交流。匿名ならではの悪口やケンカを見て、インターネットが持つネガティブな一面をここで垣間見たのです。

はじめてのSNS「スマコム」

スマコムとは、いまでいうスマメイトに位置するようなスマブラ専門のSNSです。
スマメイトのようなレート機能はありませんが、日記機能やフレンド機能がありmixiに似たSNSでした。
当時、スマコムには強者が集うと言われていて、ぼくも登録だけでもしてみるかと思って登録してみました。
登録してみると、確かにレベルが2chより明らかに高く感じました。
もちろん2chにも強い人はいましたが、やはり全体のレベルはスマコムのほうが高かった。当時全一*6と言われる人がひしめき合っていました。

ぼくはそこまで強くなく、勝率もクソみたいなものでしたが、それでもいい経験ができたと思います。
このスマコムも、管理人が何回か変わってドタバタしていたイメージがあります。人が多いコミュニティを管理することってやっぱり大変ですよねえ。
中学2年生のころくらいに登録して、高校3年生まではちょくちょくログインしていた覚えがあります。

当時の画像などを探してみましたが見つからず。スクショでも撮っておけばよかったですね。

最初はガラケーで眺めていた「Twitter

いま現在も唯一続けているSNS 、Twitterです。
中学3年生のときに、何気なく登録してみました。スマブラのためというワケではなく、日常生活を含めた雑多なアカウントでした。
当時はガラケーの時代でしたが、それでも呟くこと、タイムラインを眺めることは可能でした。

https://ascii.jp/elem/000/000/538/538423/より引用。ガラケー時代のTwiiter公式

当時のTwitterは独特の雰囲気というか、文化というものが存在しておりました。
「おはよう!」というツイートに対して「おはようございます!」→「おはありでした!*7」というように、挨拶ツイートに関して返信する形で挨拶を返すという文化がありました(ただいま、おやすみ、ほかる*8などにも応用)
あとは午前0時を知らせる「よるほー」なる挨拶があったり、午前4時には「なるほど4時じゃねーの」という謎ツイートが流行ったり。

とにもかくにもいまのTwiiterとはかけ離れた雰囲気でしたが、それはそれで楽しかったですね。ぼくの中ではお気に入りは☆マークだし、「いいねを送る」じゃなくて「ふぁぼる*9」んだ・・・。

当時使っていたアカウントは、高校3年生のときに削除してしまいました。クラスメートに監視されていることが分かって、気味が悪くなったんですね。
いま思えば後悔してます。残しておけばよかったよ。消すんじゃなくて普通に鍵つけるだけでよかったのにね。






以上、ぼくのインターネットの思い出でした。
裏講のことを記事に書いているブログを見つけて、懐かしく感じてこの記事を書こうと思いました。もしかしたら、本当にもしかすると当時の住人の方が見てくれるかもしれないしね。
いつか皆さんと昔話ができますように。



【編集後記】
いきなり寒くなってきましたね。
寒暖の差が激しいと体調を崩しやすいのでどうかご自愛ください。

*1:Read Only Memberの略称。掲示板などで書き込むことなく、閲覧だけしている状態

*2:掲示板に書き込みする行為

*3:キリのいい番号を略したもの。100番目のアクセスとか。キリ番を踏んだ人に報告を強制する謎文化があった

*4:「誰か得をするのか」の意

*5:種族値個体値努力値ポケモンのステータスを決める重要な要素

*6:ナンバーワンと言われるプレイヤー。スマブラの場合はキャラごとに全一と言われる人たちがいる(例:マリオ全一)

*7:「おはようありがとう」という意

*8:お風呂に行ってきますという意。ほかほかになることから

*9:ファボる。Favoriteからきている